パリパリふわっ 紅しょうが香…
クロレラレシピ集
京都市街の北部に位置する上賀茂。
京都で最も古い神社のひとつ、賀茂別雷神社【かもわけいかづちじんじゃ】(上賀茂神社)で有名なこの地が今回のFood記の舞台。新年の健康を祝う神事と、この地で生まれ受け継がれてきた食材を探す旅に出かけました。
おとそ気分もそろそろ抜けてきた1月7日の早朝。
サン・クロレラ 旅するFood記の行く末を祈願して訪れたのは上賀茂神社。
京都市街の北部に位置するこの神社は、京都の鬼門を守り、方位からくる災厄を避ける「方除【ほうよけ】」のご利益がある神社です。
旅の安全祈願や、引越し、大切な門出の厄除けのために、多くの方が訪れます。
本殿に詣でて、神社の境内に戻ると、なにやら人だかりを発見。
人だかりの中心にいるのは一頭の白馬、名前を神山号といいます。
この日行われていたのは、白馬奏覧神事【はくばそうらんじんじ】。かつて、宮中の紫宸殿【ししんでん】で天皇が白馬を見て、その後に宴を催す「白馬節会」として行われていたものが、この神社の神事となったそう。
昔は、天皇のために行われていた行事を目の前で見られるなんて、なかなかない機会ですよね。もちろん、こちらは白馬ならぬ野次馬として、ありがたく拝見いたします。
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神事が始まると、神山号は、神職や氏子の方々と鳥居をくぐって神社の本殿へ。祭殿でお祓いを受けてから本殿へと進み、天皇ではなく上賀茂神社の神様の前へ。祝詞が奏上され、巫女装束の女性から与えられた大豆を食べると神事は万端終了。
あっという間の出来事で、神事について知らないとなにやらキツネにつままれたような気分ですが、これは一年の初めに青い馬(白馬)を見ると一年の災厄が払われるという中国の故事に基づいています。
もともと中国では、馬は陽の気を持つ獣、さらに青は春を表す色。
また、「木火土金水」の陰陽五行説では「金」は豆に当たり、これは「鬼」や「疫病」と同じ。これを食べることで克服する、つまりこの神事は陰の季節「冬」を終え、陽の季節「春」を呼び込む儀式と考えられますね(実際には諸説あり、定かではないそうですが…)。
神事で頭を使ったら、ちょっとお腹が空いてきました。
本殿から再び境内へと戻ると、テントが張られ煮炊きの煙が上がっています。
1月7日は七草粥の日。上賀茂の婦人会の皆さんが、七草粥の振る舞いを行っています。先ほどの本殿神前にも、七草粥が供えられていました。もちろんこれもいただきますよ。
最近めっきり食べることが少なくなりましたが、ある程度の年代以上であれば、子供のころ1月7日の早朝に、空き地や川の土手へ七草を取りに行った経験があるのでは?「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」。呪文のように唱えていた春の七草。
ちなみに、すずなは蕪、すずしろは大根、せりなどもスーパーで並ぶお馴染みの野菜。ナズナはペンペン草、ホトケノザはタビラコ、ゴギョウはハハコグサとも呼ばれ、今でも街のいたるところで見ることができます。
七草粥はお正月の暴飲暴食で疲れた胃腸をいたわるためのもの。
「食べるものの少なかった昔の人のことだから大して栄養なんてないんじゃない?」と思いがちですが、栄養学的に見ても、ジアスターゼなどの消化酵素や、鉄分をはじめとするミネラルにビタミン群などが豊富に含まれているんだそう。
普段は私たちの目に「雑草」としか映らない草にも、名前があり栄養価がある。
それを経験的に知って生活に取り入れていた古の人たちの知恵の深さに触れながらいただくとなかなか味わい深いものです。
上賀茂神社の境内を歩いていると、境内を川が流れているのに気がつきます。
この明神川は、賀茂川を源流として神職の方々が禊【みそぎ】を行う聖なる川。
境内を出た後、川に沿って歩いて行くと、立派なお屋敷街が現れます。
これは「社家【しゃけ】」といい、古くは上賀茂の神主や氏子の家で、明神川の水を屋敷内に引き込み、自宅での禊や生活用水として使っています。
川の音を聞きながら、この街中をのんびりと散歩していると、「すぐき」の文字が目に付きます。今や「しば漬け」「千枚漬け」とともに京都のお漬物の代表格となった「すぐき」。実はすぐきはこの社家やその周囲の農家が、明神川の水で仕込んでいるものなのです。
ふと見ると社家の一軒に「一般公開中」の文字が。
神主のお宅とはどのようなものか、いそいそと門の中へと進んでみます。
お邪魔したのは京雷堂さん。ここは上賀茂神社のシンボルでもあるフタバアオイをモチーフにしたおせんべいや、すぐきなどを販売しているお店。穏やかな表情の店主さんたちが、私たちを迎えてくださいました。
何気なく入ったお店だったのですが、ここの店主さんから、私たちはすぐきのルーツを教わることになったのです。
冬になると京都ではデパートやスーパーにも並ぶお馴染みのすぐき。“すぐきかぶら”と呼ばれる蕪に似た野菜から作られる漬物ですが、かつては社家の外へこのかぶらや樽に入った菌を持ち出すことはご法度だったそう。
もともとは社家の神官が作り、宮中や公家への贈答に用いていたもので、一般庶民の口に入るものでありませんでした。
すぐきが京都名物となるのは、江戸末期?明治にかけて。
飢饉や明治期の深泥池の大火事によって、地域の人々が生活に困った際、これを助けるために社家の人々が掟をやぶり人々にその製法を公開していったことで、すぐきは一般の人々の口にも入るようになったのだといいます。
京都の公家や神主さんというと、なんだかお高くとまっている印象がありましたが、情に厚い人々も多かったんだ…と、今更ながらに感心しきりです。
すぐき漬けの仕込みは11月。12月から新年にかけて漬物となって店頭に並びます。
しかし、本来すぐき漬けは夏の食べ物だったそう。
すぐきは乳酸菌発酵によってできる漬物。寒い京都の冬では十分な発酵が行われず、初夏ごろになって気温が上がってくると酸味のある美味しいすぐき漬けが出来上がります。夏頃に販売されるものを「時候漬け」といい、今でも昔ながらの製法を行っているお店で見かけることができるといいます。
しかし現代では、「室【むろ】」と呼ばれる発酵室に、塩漬けにしたすぐきかぶらの樽を入れ、木炭や電気を使って40度程度の室温を保つことで発酵を促しています。
こうして室温を高めた場合、なんと1週間ほどですぐきが出来上がってしまうのです。
とはいえ、長年この地域に住む人々の中には、昔ながらのすぐき漬けを懐かしむ声が多いといいます。また、農家の樽や室に棲み着く乳酸菌の種類によって、漬物の味は大きく変わってくるということ。
現在でもすぐき漬けは大量生産をしておらず、実は多くの漬物メーカーが農家からすぐき漬けを買い付けているそうで、「今年のすぐきはあたり」「今年はイマイチ」なんて、味比べをする地元の人もいるのだとか。
店主さんの話は大収穫!知られざるすぐき漬けの歴史と、産地ならではの逸話の一端に触れることができました。
京雷堂
住所: 京都府京都市北区上賀茂池殿町8番地
TEL:075-701-8251
http://www.kyoraido.com/
天皇のための神事、神様にささげられた供物、そして神社の門を出て、人々を救った漬け物。古き伝統ある街並みから、広がっていった京都の文化の始まりを見つけた今回のFood記。次回はどんな発見があるでしょうか。
ぜひ次回もお楽しみに。
文責:つむぐarticles 鷲巣謙介
編集:アラカワ